CEATEC 2024

  1. TOP
  2. WHY CEATEC
  3. ヒストリー

WHY CEATEC

ヒストリー

CEATECの源流は、1962年に始まった「日本電子工業展」にまでさかのぼります。

「テレビ・ラジオ等の音響機器」「電子応用機器を含む無線機器」「測定器」「電子部品」の4部門で構成された展示会に207社が出展、10日間の会期で約15万人が来場しました。パーツから完成品まで非常に広範囲にわたるテーマを展示する”総合展” としての特長は、現在に至るまで受け継がれています。

1964年の第3回から名称を「エレクトロニクスショー」に改称、特に第25回の1986年エレクトロニクスショーには、過去最多としての記録が残る44万3500名が来場して活況を呈しました。

2000年、エレクトロニクスショーは情報・通信の展示会だった「COM JAPAN」と統合して「CEATEC JAPAN」へと生まれ変わります。「テクノロジーで社会を豊かにする」ことを掲げ、映像・情報・通信とデジタル・ネットワークというすべてを網羅する“複合”展示会としての新たな歴史が始まりました。

2007年には20万人が来場、「最先端IT・エレクトロニクス総合展示会」として確固たる地位を築きました。

2016年からは「CPS/IoT Exhibition」に舵を切り、IoTの基幹となる電子部品やデバイスから完成品、実装される機器、それらを活用するさまざまなサービスまでを含めた、すべてが一堂に会する「Society 5.0」の実現を目指す展示会として開催、国内外のキーパーソンが一堂に会する場として、社会から大きな注目を集める日本を代表する展示会の1つとなっています。

日本を代表するイノベーションを生み出す総合展であり、共創や社会実装が動き出す契機となるから

CEATECへの変遷

2000年、CEATEC JAPANが始動

CEATECの歴史は2000年に遡ります。「エレクトロニクスショー」と「COM JAPAN」の2つの展示会を統合し始動しました。

エレクトロニクスショー(1964年~1999年)
主催:社団法人日本電子機械工業会(EIAJ)※1
※ テレビラジオパーツショー(1958年〜1961年)
主催:電子機械工業会
東京都ラジオテレビ電気卸商業組合
※ エレクトロニックパーツショー(1961年)
主催:電子機械工業会
※ 日本電子工業展(1962年〜1963年)
主催:電子機械工業会
COM JAPAN(1997年~1999年)
COM JAPAN (1997-1999)
主催:通信機械工業会(CIAJ)※2
社団法人電子工業振興協会(JEIDA)※1
社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)※3
※ データショウ(1972年~1996年)
主催:社団法人電子工業振興協会(JEIDA)※1
※ コミュニケーション東京(1982年~1996年)
主催:通信機械工業会(CIAJ)※2
SPONSORSHIP: Communications Industry Association of Japan (CIAJ) *2
※ JPSAコンベンション(1994年~1996年)
JPSA CONVENTION (1994-1996)
主催:社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)※3
SPONSORSHIP: Japan Personal Computer Software Association (JPSA)
  • ※1 社団法人日本電子機械工業会(EIAJ)と社団法人電子工業振興協会(JEIDA)は、2000年11月に統合し、一般社団法人電子情報技術産業協会(JEITA)となりました。
  • ※2 通信機械工業会(CIAJ)は2003年に名称変更し、一般社団法人情報通信ネットワーク産業協会(CIAJ)となりました。
  • ※3 社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)は、2006年に名称変更し、一般社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)となりました。